第五章:人間たちの混乱
ところが、しばらくすると人間たちの間に妙な声が聞こえ始めました。
「おかしいじゃないか」と、ある男が言い出したのです。「田郎ばかりが田を耕して、海太ばかりが魚を獲って、綾女ばかりが機を織っている。これでは不公平ではないか」
「そうだそうだ」と別の者も続けました。「私だって田を耕せるはずだ。なぜ田郎だけが上手なのか」
「私も魚を獲りたい。海太だけが楽しそうにしているのは面白くない」
人々は、自分の苦手なことができないことを恥じ始めたのです。田郎は魚獲りが下手で、舟に乗ると気分が悪くなってしまいます。海太は機織りが苦手で、糸がすぐに絡まってしまいます。綾女は田仕事が嫌いで、土に触ると手が荒れてしまいます。
「これではいけない」と、人々は考えました。「皆が何でもできるようにならなければ、立派な人間とは言えないのではないか」
そして、自分の苦手なことを一生懸命練習し始めたのです。田郎は無理やり舟に乗って魚獲りの練習をし、海太は嫌々ながら機織りに挑戦し、綾女は泣きながら田を耕す練習をしました。
第六章:苦労教の誕生と広がり
そんな中、一人の男が立ち上がりました。
「皆の者、よく聞け!」その男は大声で叫びました。「苦手なことを克服してこそ、真の人間なのだ!好きなことばかりやっているのは、怠惰で甘えた生き方だ!」
人々は耳を澄ませました。確かに、自分の苦手なことができないのは情けないような気がしていたのです。
「見よ、田郎が魚獲りに苦労し、涙を流しているではないか。その苦労こそが彼を成長させるのだ!海太が機織りで指を傷つけ、血を流しているではないか。その痛みこそが彼を強くするのだ!綾女が田仕事で手を荒らし、腰を痛めているではないか。その苦痛こそが彼女を鍛えるのだ!」
男はさらに声を張り上げました。
「楽しいことなど、誰にでもできる!子供でもできる!しかし、嫌いなことを我慢してやり続けるのは、大人だけができることなのだ!」
この言葉に、人々は深くうなずきました。確かに、好きなことをしている時の田郎や海太や綾女は、まるで遊んでいるかのように見えます。それに比べて、苦手なことに挑戦している時の彼らは、いかにも努力しているように見えるのです。
「苦労教」の教えは、こうして体系化されました:
第一の教え:「好きなことをするのは悪いことです。それは楽をしているだけで、成長がありません」
第二の教え:「得意なことに頼るのは甘えです。誰でもできることをしているだけです」
第三の教え:「苦手なことを頑張ってこそ、神に愛されます。困難に立ち向かう姿こそ美しいのです」
第四の教え:「涙と汗と血を流した分だけ、立派な人間になれます。苦しみの量が人格の深さを決めるのです」
村には「苦労度測定師」という職業まで生まれました。彼らは人々がどれだけ苦しんでいるかを測り、点数をつけるのです。高い点数を取った者は「努力家」として尊敬され、低い点数の者は「怠け者」として軽蔑されました。
田郎は本当は田仕事が大好きで、朝から晩まで田んぼにいても疲れませんでした。しかし、それでは「苦労度」が低いと言われてしまうので、わざと嫌いな魚獲りや機織りの時間を長くするようになりました。
海太も綾女も同じでした。自分の得意なことをする時間を短くして、苦手なことに多くの時間を割くようになったのです。
その結果、村全体の生産性は大幅に下がってしまいました。美味しい米の収穫量は減り、新鮮な魚も少なくなり、美しい布も作られなくなりました。
それでも人々は言いました。「苦労しているのだから、これでよいのだ」
さらに、苦労教は家族の在り方にまで影響を与えました。
「真の愛情とは何か」と、苦労教の指導者は説きました。「それは相手のために苦労することです。特に親が子のために苦労することこそ、最も美しい愛の形なのです」
村の親たちは、この教えに深く感動しました。
「そうだ、子供のために私たちはもっと苦労しなければならない」
親たちは、自分の得意なことで稼いだお金で子供を育てることを恥じ始めました。「こんなに楽に稼げるのでは、子供への愛情が足りない」と考えたのです。
田郎の父親は、本来なら田仕事が得意で楽々と米を作ることができました。しかし、「息子への愛情を示すため」に、わざわざ苦手な商売を始めました。毎日苦労して、汗と涙にまみれながら、わずかなお金を稼ぐようになったのです。
海太の母親も同じでした。魚料理が得意で、近所の人たちに喜ばれていたのに、「息子のために苦労しなければ」と、苦手な畑仕事を始めました。慣れない農作業で体を壊しながらも、「これが母の愛よ」と言い聞かせていました。
「楽をして子供を育てるなど、愛情のない親のすることです」
「苦労すればするほど、子供への愛が深まるのです」
「子供は親の苦労する姿を見て、立派に育つのです」
こうして、親たちは競って苦労するようになりました。得意なことで効率よく働くことは「手抜き」とされ、苦手なことで四苦八苦することが「愛情深い親」の証とされたのです。
当然、家計は苦しくなりました。子供たちの暮らしも貧しくなりました。しかし誰も文句を言いませんでした。
「お父さんお母さんが、こんなに苦労してくれているのだから」
村全体が、なんとも言えない重苦しい空気に包まれていました。皆が皆、苦しそうな顔をして、嫌々ながら仕事をしているのです。
高天原の神々は、もはや言葉を失っておりました。
苦労こそが美徳。好きなことは悪いこと。
その教えが、親から子へと受け継がれていく村。
高天原の神々は、もはや言葉を失っておられました。
この村に、もう一度あの笑顔が戻る日は来るのでしょうか。
次回、最終章「分かれ道」。どうぞ最後までお付き合いくださいませ。