第一章:太古の平等な世界
むかしむかし、この世がまだ若く、山も川も今ほど深くなかった頃のお話でございます。
その頃の人間たちは、皆が皆、まったく同じ力を持っておりました。走る速さも、物を持ち上げる力も、考える早さも、手先の器用さも、みな同じ。誰一人として他の者より優れることもなければ、劣ることもございませんでした。
「今日も田を耕そう」「今日も魚を獲ろう」「今日も機を織ろう」
人々は真面目に働きましたが、どれもこれも人並み。特別上手でもなければ、特別下手でもない。村のどこを見回しても、同じような出来栄えの田んぼ、同じような大きさの魚、同じような仕上がりの布ばかりでございました。
高天原では、八百万の神々がそんな人間たちの様子をご覧になっておりました。
「なんとも...のんびりしたものじゃのう」
「ええ、平和と言えば平和ですが...」
「しかし、これでは...」
第二章:神々の気づき
ある日のこと、高天原で神々がお集まりになっておりました。
「どうもおかしいのじゃ」と、知恵を司る神様が首をかしげられました。「人間たちを見ておると、なんとも効率が悪いように思えてならぬ」
「と申しますと?」
「よいか。田を耕すのも、魚を獲るのも、機を織るのも、料理を作るのも、皆が皆、同じようにやっておる。誰も特別得意なことがないから、どれもこれも『まあまあ』の出来なのじゃ」
別の神様がうなずかれました。「確かに。もしも田を耕すのが特別上手な者がおって、魚獲りが抜群に巧い者がおって、機織りの名人がおったとしたら...」
「そうじゃ!それぞれが得意なことに専念すれば、みんなで分け合えばよい。田の名人が作った米を食べ、漁の名人が獲った魚を味わい、織物の名人が作った布を着る。そのほうがずっと豊かになるではないか」
神々の間に、ざわめきが起こりました。
「しかし、それでは不平等になってしまうのでは...」
「いや、全体で見れば、みんなが幸せになれるはずじゃ」
皆が同じであることに、首をかしげた神々。
「それぞれが得意なことに専念すれば、もっと豊かになるはずじゃ」
さて、神々は人間たちに、いったいどのような力を授けるのでしょうか。
次回、第三章「神々の慈悲深い設計」・第四章「奇跡的な変化」へと続きます。