💖 この講座の講師はこんな人です 💖
資格について
〇産業カウンセラー
〇ICNLP認定国際トレーナー
〇ICC(国際コーチング連盟)認定国際コーチ
【研修講師として】
🌈大阪市旭区児童相談所職員研修
【子育ての重要性について】
🌈大阪府豊中市役所
【マタニティプレママにも役立つ子育てのポイント】
【講演/講座】
🌈西宮市こころのケアセンター/大阪市教育振興公社
徳島市教育委員会/西脇市教育委員会/徳島市役所
愛知県春日井保健所/大阪府寝屋川保健所/門真保健所他
🌈今だけ内緒‼ 豪華特典🌈
🍀心育ての手順が分かる1枚
🍀講座前質問し放題
🍀個別無料相談会
🍀講座終了後3日間質問し放題
🍀フォローアップ相談会
※希望される方は講座にてお申し出ください
https://www.youtube.com/watch?v=Tp6BfPbal3Iマイ・ストーリー
これは私の物語です。
「天女の言葉の呪い」を解くカウンセラー
私は今お釣りがくる程、しっかりとプラチナ世代。
まさか自分がこの年齢まで生きているとは
思っていませんでした。
子どもの頃身体が弱かった私は、母が人と話す時に
「この子は身体が弱いから長く生きられない」
と話しているのをそばで聞きながら育ちました。
考えてみると大正生まれの母は
「謙遜の美徳、謙譲の美徳」という
当時の文化を十二単衣のように、きちんと
身にまとった人でした。
だから父と私の家族以外の人たちからは、
「あんないい人はいない」
「あんな出来た人はいない」と
いつも褒められていました。
特に父方の親戚から用事を頼まれると、
何を差し置いても駆け付けていました。
人さまに対しては優しい言葉と笑顔を向け、
まさに天女のような人でした。
でも母の【謙遜の美徳の言葉】は私にとって
その後生涯に渡って呪いの言葉になりました。
「この子は3月31日生まれで4月生まれの子に比べ
学年でも丸々1年遅れている。
だからやっぱり何をさせても甲斐性がなく、
だっちゃっかん子で恥ずかしいわ」と言う言葉が、
人に私を紹介する時の母の挨拶言葉でした。
実際、私は肺浸潤という病気で中学1年まで
定期的に病院に通っていました。
体育の授業はいつも見学オンリー。
転んだら危ないからと自転車は禁止され
許されたのは三輪車まで。
未だに自転車に乗るのが夢のまた夢です。🌈
50歳を過ぎてから教習所に通いました。
が教習所仲間は私のことを用務員のおばさん
と思っていたと後で知りました。
なんと9か月通いその間に
(仲間の出迎えと見送りのセット)を繰り返して
いたので間違えられるのも無理ありませんが。
「何をさせても甲斐性のない子」と言われ続けた
私は本当に母のシナリオ通りの甲斐性のない子に
しっかりと仕上がっていきました。
子どもは親に忠実に名子役を演じ疑うすべもなく
自分を素直に定着させていきます。
私も名実ともに素晴らしい名子役でした。🍀
何かに情熱を持って熱くなることもなく何となく
胸の中がいつもモヤモヤしていました。
他の子と自分は何処か何かが違う気がしていました
が自分は夜明けの行どん状態で分かりませんでした。
ただ胸の奥にずっと生きにくさを抱えていました。
そんな自分の転機となったのは結婚により
親元を離れたことです。
開放感と自由な気持ち心の軽さリアルに楽しい
気持ち。
北陸の保守的で封建的な街で生まれ育った私。
大阪の街は、そんな私を水を得た魚のように
イキイキと生き返らせてくれました。🍀
自分でも予想もしなかった自分の内面の変化に
正直びっくりし、驚きました。
結婚により物理的に母と距離を取れたことが
何よりも私を伸びやかにしました。🍀
故郷に実家に母に、心の根元を幾重にも
縛られていたことを親のそばを離れてから、
じわじわやんわりフワッと気がつきました。
長く生きられないと母に言われて育った私は、
子どもを2人産みました。🍀
身体が弱いと言われた私は4000gを越える
息子を産みました。🍀
そして今日に至るまで、私はいろいろなことに
取り組んできました。
司会業、ビジネスマナー講師、カウンセラーと何かに
常に忙しくしてバタバタと生きてきました。
そして5年前、家族から終活を要請されているさなか
創業時65才のケンタッキー・フライド・チキンの
おじさんカーネル・サンダーズ氏に触発され
こっそり知的障がいの方のささやかな4人制の
グループホームを立ち上げました。
だからこそ自分ではチャレンジ精神旺盛で意欲的に
生きている人間と自分のことを思い込んできました。
おめでたい限りです。(笑)🍀
でもそれは全くの勘違い、とんでもない大間違い。
大きく180度真逆であることを思い知り実に
愕然としました。
いくつになっても私は母の呪いの言葉
「何をさせても甲斐性のない子」という言葉に
すっかりリモートコントロールされていたのです。
チャレンジ精神旺盛と思えていたのは
「何をさせても甲斐性のない子」という
母の呪いの言葉に首根っこをつかまれ
牛耳られていた私の心の奥底からの
強烈な反抗反発だったのです。🍀
反発のその奥に眠っていたのは
「何をさせても甲斐性のない子ダメな子じゃない!
お願い!私を認めてお母さん!」
と泣きじゃくる5歳の私が、必死に
母に求める真っ直ぐな「承認欲求」でした。🍀
20年以上にわたり民間の不登校ひきこもりの
相談機関で居場所スタッフ/カウンセラーとして
多くの方々の心に触れ寄り添って参りました。💛
他者の心は見えるのに肝心かなめの自分の心は
砂ぼこりで濁った池の底のように
まるで見えていませんでした。
恥ずかしい限りです。身体が凍りつきます。
母の言葉で心の芯を串刺しにしたままで
生きてきた自分自身を顧みて私と同じように
呪いの言葉に牛耳られ息苦しく生きている方々の
お役に立ちたいと強く思っております。🌈
私の母もその上の世代から代々の呪いの言葉を
受け継いできたのだと思います。
負の連鎖を受け継ぎ子供に申し送りしている課題を
解放していくことが私の使命と感じております。🌈
実母は3歳の私を残し結核で亡くなりました。
「天女の言葉」は24歳でいきなり私の母になった育ての母の言葉です。
きっと母も心細かったのではないかと思います。
生涯、子どもは私1人でした。💛
数年前91歳の大往生に立ち会うことができました🌈
この母が在ってこそ私は自分を深く掘り下げ
自分の心の井戸水を両手で掬い取り口に頬張り
飲み干すことができたように思います。
母は独自の方法で私を成長させてくれました。
紛れもなく天女だったのかもしれません。🌈
今、本当に母に感謝しています。
🍀お母さんありがとう!
私を産んでくれたお母さん
私を育ててくれたお母さん
🍀お母さんありがとう
そして二人の母にそう言っている自分が好きです。🍀