平成元年より今日まで、古典文学作品を、日本語と英語の二ヶ国語で読んで楽しむ講読会を続けてきましたが、昨今の新型コロナ騒動もあって、対面による講読会とは別個に、オンラインでも始めることにしました。
古文をその英語訳と一緒に読むことで、古文特有の味わい、英語表現の妙趣、古語と英語を比較することの面白さなど、幾通りもの読み方が可能です。
競い読むのではないので、語学力は問いません。
使用するテキストは、原文と英語訳を一目で見比べられるようにアレンジしたものです。(授業料にテキスト代含みます)。
【その他】
・事務連絡などズームのサポートなどは
講師 坂本了の妻でアシスタントのキリエが
担当しております。
ご不明な点等、ありましたらお気軽にチャット等でも
ご連絡ください。
2025年7月~
ブログはじめました。
→https://ameblo.jp/tota0701/entry-12919070005.html
漢文は論語を使っての講座、古文は教科書に掲載されている”奥の細道”など。できれば興味を持って楽しんで学習してほしいと考えています!
¥1,000/30分
女性 70代
源氏物語と奥の細道を受講しています。それぞれに時代も考え方も違うのですが、それぞれに原文と英翻訳の違いを楽しみながら受講しています。特に、「奥の細道」は、芭蕉の言葉の使い方の巧みさ、感情表現など、俳句だけではない作家としての素晴らしさを感じています。又、英翻訳は、翻訳者がどう考えても訳したのかなど、自分なりに考えると楽しいです。源氏物語の原文では、現代にも残っているような婉曲表現や、日本語独特の否定表現が見られて、英翻訳者も大変だろうなと思ったりするところです。
まずは、うっかりしておりましたが、長年ストアカを利用させてもらっていて、今まで、レヴュー欄が「講座」と「月額」という箇所にそれぞれあることに気がつきませんでした。
一方のレヴュー欄だけを見ていましたので、もう一方のレヴューは見落としていました。
ところで、日本語の原文と英語訳を比較しながら読むと、表現の仕方の違いがよく分かり、言葉の面白みがより実感できる気がします。
「おくの細道」の英訳はキーン訳で読んでいますが、ペンギンブックス版の英訳で読むと、別のパノラマで風景を見る感じで、面白さに限りがありません。
「源氏物語」もまた同じですね。
いま現在、ネット上に、「英語対訳で源氏物語を楽しむ」というタイトルで、原文と英訳の対訳テキストを第Ⅰ帖「桐壷」から作っているところです。
原文と英訳が一文一文の対訳になるように、細かく分解してネットに載せています。
完成するのに20年かかるかもしれません。
女性 70代
面白いです。古文、英文を比較しながら読む事で、日本語圏と英語圏の考え方の違いがわかります。特に日本語に対してどんな英語を使うかと言うところが、とても興味があります。だって、一つの日本語に対し幾つもに英語の言い方があるでしょう?この単語をここに使うと言うのは著者の日本語への理解を表しますね。我々日本人よりもずっと日本語への理解度が高いような。
女性 70代
松尾芭蕉の知性の深さとイマジネーションが、彼の俳句を組み立てているんだとよくわかりました。又、英文は、簡潔で理解しやすい。江戸時代の人たちの感情や考えを身近に感じます。時には今と変わらないと思う部分もあり、あれっと思う部分もあり。
昨夜読んだ箇所は、「おくの細道」の浅香山から信夫の里にかけてでした。
どちらも、歌枕の地で、昔の詩人たちの歌や物語が重なりあって、詩的な歴史的な言語空間がつくりだされている所を旅することで、芭蕉はなにかを全身で感じとろうとしたのでしょうね。
芭蕉が「おくの細道」への旅に出る前年に書いた「笈の小文」の中で、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり。」と言っています。
浅香山、信夫の里でも、「その貫道するものは一なり」と芭蕉は感じとったのではないでしょうか。
「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」
この句には、芭蕉が晩年にめざした「軽み」なり、「風雅の誠」なりの美が極まっているように私には思われます。
女性 70代
江戸時代と現代の違いを感じます。当たり前ですが、ついつい今の物差しで測りそうになります。
まったくそうですね。古典物を読むとき、気を付けなきゃいけないことは、今日の物差しで評価しないことでしょうね。
そのことを自戒して、1689年元禄2年、奥羽・北陸地方を150日ばかりかけて、草鞋履きで歩き通した芭蕉の『おくの細道』の世界にどれだけ近づけるか、どれだけ理解できるか、ということなのでしょうね。
漢文は論語を使っての講座、古文は教科書に掲載されている”奥の細道”など。できれば興味を持って楽しんで学習してほしいと考えています!
¥1,000/30分
女性 70代
源氏物語と奥の細道を受講しています。それぞれに時代も考え方も違うのですが、それぞれに原文と英翻訳の違いを楽しみながら受講しています。特に、「奥の細道」は、芭蕉の言葉の使い方の巧みさ、感情表現など、俳句だけではない作家としての素晴らしさを感じています。又、英翻訳は、翻訳者がどう考えても訳したのかなど、自分なりに考えると楽しいです。源氏物語の原文では、現代にも残っているような婉曲表現や、日本語独特の否定表現が見られて、英翻訳者も大変だろうなと思ったりするところです。
まずは、うっかりしておりましたが、長年ストアカを利用させてもらっていて、今まで、レヴュー欄が「講座」と「月額」という箇所にそれぞれあることに気がつきませんでした。
一方のレヴュー欄だけを見ていましたので、もう一方のレヴューは見落としていました。
ところで、日本語の原文と英語訳を比較しながら読むと、表現の仕方の違いがよく分かり、言葉の面白みがより実感できる気がします。
「おくの細道」の英訳はキーン訳で読んでいますが、ペンギンブックス版の英訳で読むと、別のパノラマで風景を見る感じで、面白さに限りがありません。
「源氏物語」もまた同じですね。
いま現在、ネット上に、「英語対訳で源氏物語を楽しむ」というタイトルで、原文と英訳の対訳テキストを第Ⅰ帖「桐壷」から作っているところです。
原文と英訳が一文一文の対訳になるように、細かく分解してネットに載せています。
完成するのに20年かかるかもしれません。
女性 70代
面白いです。古文、英文を比較しながら読む事で、日本語圏と英語圏の考え方の違いがわかります。特に日本語に対してどんな英語を使うかと言うところが、とても興味があります。だって、一つの日本語に対し幾つもに英語の言い方があるでしょう?この単語をここに使うと言うのは著者の日本語への理解を表しますね。我々日本人よりもずっと日本語への理解度が高いような。
女性 70代
松尾芭蕉の知性の深さとイマジネーションが、彼の俳句を組み立てているんだとよくわかりました。又、英文は、簡潔で理解しやすい。江戸時代の人たちの感情や考えを身近に感じます。時には今と変わらないと思う部分もあり、あれっと思う部分もあり。
昨夜読んだ箇所は、「おくの細道」の浅香山から信夫の里にかけてでした。
どちらも、歌枕の地で、昔の詩人たちの歌や物語が重なりあって、詩的な歴史的な言語空間がつくりだされている所を旅することで、芭蕉はなにかを全身で感じとろうとしたのでしょうね。
芭蕉が「おくの細道」への旅に出る前年に書いた「笈の小文」の中で、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり。」と言っています。
浅香山、信夫の里でも、「その貫道するものは一なり」と芭蕉は感じとったのではないでしょうか。
「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」
この句には、芭蕉が晩年にめざした「軽み」なり、「風雅の誠」なりの美が極まっているように私には思われます。
女性 70代
江戸時代と現代の違いを感じます。当たり前ですが、ついつい今の物差しで測りそうになります。
まったくそうですね。古典物を読むとき、気を付けなきゃいけないことは、今日の物差しで評価しないことでしょうね。
そのことを自戒して、1689年元禄2年、奥羽・北陸地方を150日ばかりかけて、草鞋履きで歩き通した芭蕉の『おくの細道』の世界にどれだけ近づけるか、どれだけ理解できるか、ということなのでしょうね。
古典文学作品を原文と英語訳とで読む