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大学院在籍時からこれまで、様々な大学で「哲学」を教える講義を行ってきました。学生に講義をするなか、哲学は単なる知識ではなく、自分の考えを整理したり、自分を客観視することのできる重要な学問であり、学生のみならず、今まさに社会のなかで生きるすべての人たちに必要なものであると考えるようになりました。社会人の方々、専業主婦(主夫)の方々、定年退職された方々をはじめ、なんらかのかたちで学生を卒業し、学びの場から遠のいてしまった方々に、哲学を勉強することの楽しさ、哲学的思考のノウハウをお伝えする場を提供したいと考え「ソトのガクエン」を設立しました。
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現代哲学に共通する問題意識は、近代社会や近代主義的な人間像を批判することにあります。現代哲学の起点となった、ニーチェ、フロイト、マルクスといった哲学者たちは、合理性や理性、発展的な歴史観といった、これまで人間の本質だとされてきたものを根本的に批判します。では、彼らが批判する「人間」とは何であり、この「人間」を前提に成り立っている近代社会の何か問題だったのでしょうか。これを理解することが現代哲学の根幹を理解するうえでもっとも重要になります。
しかし、時代をさかのぼれば、近代の真っ只中にいた哲学者カントもまた、例えば、オカルト的な霊視体験に関心を向けるなど、理性の枠に収まりきらない非理性的なものの存在を敏感に感じ取っていました。理性にはそもそも非理性的なものが含まれているというカントの視点は、現代哲学に直結する議論を含んでいます。
そこで今回は、近代的人間像や近代という社会が含む問題点を、理性と非理性という観点から考えることで、現代哲学の出発点について考えてみます。
近代的人間像を批判し、超克するのが現代哲学であるとすると、では、人間を人間たらしめる条件をあらたに見いだすことが課題となります。すなわち、19世紀後半以降の哲学や人文科学は、あらためて「人間とは何なのか」という問いに取り組みました。このとき、現代思想の多くが理論的に参照したのは、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの言語学でした。ソシュールが提示したあらたな言語観や言語理論は、とりわけ、1960年代フランスの人文諸科学で興隆することになる構造主義へと連なります。今回は、ソシュールの『一般言語学講義』からソシュール言語学のエッセンスを取り出すとともに、その言語理論が現代哲学に与えた影響を考えましょう。
1960年代フランスを中心に、文化人類学、文芸批評、精神分析、哲学といった人文諸科学において、構造主義という運動が生じました。意識や主体性を前提する近代主義に対して、構造主義は、そのような人間の意識や主体性といったものが、個々人を超えた力関係や権力関係によって規定され、生み出された結果に過ぎないと考えます。構造主義の発想は、マルクスが提示する下部構造による上部構造(イデオロギー)の規定という議論にも通じるものがあります。今回は、レヴィ=ストロースの人類学、ミシェル・フーコーの権力論を参照しながら、構造主義の基本的な考え方をマスターし、近代主義が隠し持つ欺瞞性や危うさについて考えてみましょう。
現代の社会を一言で表現すると、それは「暴力の時代」であると言えます。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ以降多発する、市民を巻き込むテロ事件、移民排斥運動、あるいはジェンダー差別といった現代の問題は、人間の暴力性の発露として捉えることができます。同時に、現代社会における社会構造や社会制度、あるいは報道やメディアには、暴力を覆い隠し、見えないようにする機能が構造的に備わっていると考えられます。今回は、現代における喫緊の課題である気候変動問題をケーススタディとして取り上げ、現代哲学の概念や発想を参照しながら、現代における暴力の在り方について考察してみましょう。